こんにちは。
コロナ禍で定着したUberEats(ウーバーイーツ)。今は都会(東京・大阪・名古屋・福岡など)では当たり前の宅配サービスとして定着していますが、利用されたことはありますか?
私は田舎に住んでるのでUberEats配達員さんはもちろん、自転車さえほとんど見かけません笑。
今回は、田舎人にとって見たこともないUberEats配達員の実録映画「東京自転車節」を手掛けた青柳拓監督の結婚と収入が気になったので調べてみたいと思います。
東京自転車節の青柳拓監督は結婚している?
青柳拓さん、UberEats配達員で映画監督というので、30~40代くらいかなと予想していましたが、なんと1993年生まれの28歳でした。
そして、コロナの影響で仕事が激変し、家族を養うためUberEats配達員となったのかな?とも思っていたのですが、全財産、口座残高313円・・家族どころか自分も死んでしまうレベル涙。
そんな青柳監督は現在の生活は
- 家賃2万円
4畳半風呂なし、トイレ共同のアパート - UberEats配達員を続けている
予想にすぎませんが、この状況では結婚されていない・・。したくてもできのではないでしょうか。彼女がいたとしてもトイレ共同風呂なしはとても厳しすぎます。
そんな青柳監督は、UberEatsのリュックにめっちゃ目立つピンクの映画ポスター貼り付けて、頑張って宣伝しながら配達しています。
今夜は用があり近くに行きましたので、Uber Eatsお仕事終わりの青柳監督に突撃してきました😁連日『東京自転車節』仕様ピンクのラッピングバッグを背負い新宿周辺(が、多いのかな?)で稼働中♪ 映画に興味を持った方、是非監督に声をかけて下さい。https://t.co/AxkSJDOKof pic.twitter.com/2c4AFO3AgT
— ルー@青柳拓親衛隊末端構成員として『東京自転車節』応援中😄 (@sn0421) June 7, 2021
この姿を見るとめっちゃ応援したくなりますね。頑張れ~!!
青柳拓さんのプロフィール
- 1993年生まれ
- 山梨県出身
- 日本映画大学(神奈川県川崎市)卒業
2017年にドキュメンタリー映画『ひいくんのあるく町』を発表。
山梨で運転代行のアルバイトなどをしながら、次回作に取り掛かるチャンスを窺っていたがコロナの影響、緊急事態宣言で仕事がなくなり状況。UberEats配達員となる。
2021年7月10日、UberEats配達員の3ヶ月の実録、映画「東京自転車節」が公開。
東京自転車節の青柳拓監督の収入は?
映画が公開される2021年7月時点でもUberEats配達員をされていますが、いったいどれくらいの収入があるのでしょうか?
UberEatsの収入
毎日、報酬は1件300円から600円ぐらいですが、近くの新宿渋谷池袋辺りに出向いて、1日平均3~4時間働いて5000円~6000円の収入を得ています。11時から14時ぐらいの間は「ピーク」と言って、プラス料金が加算されるので、その時間帯であれば時給1500円ぐらいにはなりますね。毎日やれば月20万円ぐらいは稼げます。Yahoo!ニュースより
毎日自転車漕ぎまくって月収20万円。
これから2万円の家賃、奨学金返済、映画撮影機材(スマホと小型カメラGoPro)など・・なんとか生活できたとしても、これをいつまで続けるのか?正直めっちゃ厳しいですね。映画でなんとか稼いでもらいたい!
映画の収入
映画「東京自転車節」は2021年7月10日に公開したばかり。収入はまだまだ先ですね。
ただこの映画のインタビューや取材などを受けていらっしゃるので、これから話題となればメディアや雑誌、本なども発表できる機会が多くなれば、おのずと収入にも繋がっていくでしょう。
そうすれば、大切な彼女との結婚も近づきますね!彼女がいなかったとしても、彼女が出来ることも早まりそうです。
映画の人気、動員数が増えてくれるといいですよね。応援したいです!
さいごに応援のためにも、映画「東京自転車節」のあらすじを紹介しておきます。
映画「東京自転車節」のあらすじ
ドキュメンタリー映画『東京自転車節』は2020年4月〜6月までのコロナ禍の東京を、ウーバー配達員となった監督である自分の視点で見つめたセルフドキュメンタリーです。誰もが当事者であるコロナ禍という大きな題材を、個人の主観という小さな視点を突き詰めた映画です。pic.twitter.com/wrHFj7eZGp
— 青柳 拓 @ 映画 東京自転車節 監督 (@otogisyrupz) May 26, 2021
2020年3月。山梨県で映像作家として活動する青柳拓監督は、生活を支えていた代行運転の仕事をコロナ禍の影響で失ってしまう。やむを得ず彼は、東京でフードデリバリーの仕事に就くことを決意。新型コロナウイルスの感染者数が増え、緊急事態宣言下に入っている東京の街を自転車で駆けめぐる自身と街の姿を記録していく。様変わりした東京の街と人々の様子に、青柳監督はさまざまな感情を抱く。