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こんにちは ちゅらぱんです。
来週から朝ドラ「まんぷく」がはじまりますね。
今回の物語は世にインスタントラーメンを生み出した、日清食品創業者の妻がヒロインとなります。
実在した人物、ヒロイン福子のモデルが誰なのか?調べてみたのでご紹介いたします。
「まんぷく」ヒロイン福子の実在モデルは?
インスタントラーメンの生みの親がモデルとなった朝ドラ「まんぷく」は、NHK連続テレビ小説の第99作目。
世界中で年間1,000億食近くも人々に食される、インスタントラーメンをこの世に生み出した実業家の妻をモデルとした物語。ヒロイン福子の実在モデルはどんな方だったでしょうか?
安藤仁子(あんどう・まさこ)
生年月日:1917年(大正6年)8月16日
出身地:福島県
「仁子」と書いて「まさこ」と読みます。
難しい読み方ですね。
父、安藤重信、母、安藤須磨の娘として誕生されました。
安藤家は福島県の二本松神社の神主の家系で名門です。
仁子さんは、大阪の全蘭会高等学校を卒業後、財界人の社交場「大阪クラブ」で受付をし、7歳年上の実業家、呉百福さんと知り合い、百福さんが一目ぼれ、百福さんに見初められて昭和20年に結婚されています。
夫の百福さんは、台湾の出身。
台湾時代に第一夫人の呉黄梅さんと結婚。昭和5年には長男の(安藤)宏寿さんが誕生。
また妾(めかけ)の呉金鶯さんとの間に、呉宏男さん・呉武徳さん・呉美和さんが誕生しています。
台湾には妾(めかけ)制度が法的に認められていたため、台湾の戸籍には第2夫人という扱いで記載されるそうです。
昭和8年、百福さんが台湾から大阪に来るときには、第二夫人の呉金鶯さんも一緒でしたが、別れて子供と一緒に台湾に帰ったそうです。
そんな百福さんと結婚したのが安藤仁子さん。
「安藤」の姓は、仁子さんの姓だったんですね。
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夫の本名や事業内容は!?
仁子さんの夫、安藤百福さんは台湾の出身でしたね。
本名は「呉百福」です。
台湾人で、1966年(昭和41年)に日本国籍を取得されています。
昭和8年に日本にやってきてから、問屋「日東商会」を立ち上げますが、戦争が激しくなり兵庫県に疎開。疎開先で終戦を迎えました。
台湾人であった百福さん。
戦後は国籍を日本または中国どちらかを選ぶ必要があり、財産税を逃れるために中国籍を選んだと言われています。
そして戦後、空襲で焼失した事務所や工業などの保険金を受け取り大金持ちになります。
なんとその額4000万円。
現在の価値だと1000億円!!
大金持ちの規模が違います。
日本一の大金持ちだったそうです!!
終戦後、食糧難となった日本では、おなかをすかせた人々が街にあふれ、栄養失調のために行き倒れになる人が後を絶ちませんでした。この悲惨な光景を見た安藤百福さんは「やっぱり食が大事。食がなければ、衣も住も、芸術も文化もあったものではない」と食の大切さを痛感。
このお金を使って、大坂の一等地の土地購入にあてたり、日本の戦後を立て直すために、製塩、水産加工、技術学校、栄養食品の研究などなどの事業を展開していくのでした。
しかし、百福さんは政治力を使って逮捕されていた人を釈放させたり、中国人への課税を強化した日本政府からにらまれ脱税で逮捕され有罪判決をうけたりしました・・・
服役は2年にも及びましたが、その後、華僑の人たちから頼まれて信用組合「大坂華銀」の理事長になりますが倒産。
おお金持ちから一転して無一文の身になってしまうのでした・・・
こんな状況でもへこたれないのが百福さんです。
昭和32年、当時47歳のときにインスタントラーメンの開発研究をはじめるのでした。
そして昭和33年、チキンラーメンが完成!!
日本国内での販売前にアメリカからの注文が入るほどの反響で、爆発的に大ヒット。
日本国内でも注文が殺到、日清食品が誕生するのでした!
昭和41年、安藤百福さんは日本人に帰化。
1代で日清食品という大企業を築き、平成19年98歳で死去。
奥さまの仁子さんは平成22年、94歳で死去されています。
さいごに
戦争、戦後を生き抜いて、ゼロからインスタントラーメンを生み出し、カップヌードル、世界の日清食品となった企業を育て上げた安藤百福さん。そんな夫を支えたのが妻の仁子さんでした。
朝ドラ「まんぷく」ではこのお二人がどんな描かれ方をするのか?楽しみでなりません。
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