わろてんか寺ギンの実在モデルは誰?演じる兵動大樹についても!

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こんにちは☆ちゅらぱんです!

朝ドラわろてんか、吉本興業の生みの親の話。
ついに寄席が手に入る一歩手前まできましたね!

ヒロインてんは、廃業した寄席の持ち主、亀井庄助に自分たちに任せてほしい。
昔の賑わいを取り戻すと説得しますが、そこに一波乱!!

吉本芸人の矢野兵動の兵ちゃんが、興行界の浮雲児役で出演。
それも寄席が手に入る邪魔をする役柄です。

人志松本のすべらない話の兵ちゃんの話が大好きな私^^
兵ちゃんが、どんな演技をしてくれるのか?
とっても楽しみなのです。

本日は、兵ちゃん演じる寺ギンの実在モデルを調べてみることにします!

 

 

 

わろてんか 寺ギンとは!?

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11月10日放送の35回から登場します!

 

芸人を寄席に派遣する「太夫元(たゆうもと)」。
現在で言えば芸能事務所の経営者です。
元僧侶だが「死人にお経を唱えるよりも、生きた人間を笑わせる方がおもろい」と、
興行の世界に飛びこんだ、興行界の浮雲児。
伝統を重んじる演芸界で「オチャラケ派」という一団、芸能事務所を発足。

 

 

 

 

【関連記事】

わろてんかのキャスト実在モデルまとめ!吉本興業創業者の家系図も!

 

 

 

寺ギンの実在モデルは誰!?

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寺ギンの実在モデルは、岡田政太郎さんと言われています。

※朝ドラでは、岡田政太郎さんを忠実に再現はしていないようです。

 

岡田政太郎(南野政太郎)さんは慶応3年(1863年)または明治10年(1877年)、
大阪府牧岡市池之島町(現、大阪府東大阪市)の豪農、南野喜兵衛の次男として誕生。
池之島町は旅芸者が出入りする芸の盛んな地域で、南野家は広い農地を持っていたそうです。

 

お父様の死後、お母様は旅芸人に入れ込んで、南野家の財産を
その旅芸人につぎ込み、駆け落ちしてしまったそうです。

長男は南野家を継がせるために残したが、次男の岡田政太郎さんは、
近くの商家の岡田家の養子に出されてしまいました。

 

 

養子先の岡田家は、大阪の玉造で風呂屋を経営しており、
政太郎さんは家業を手伝い、養父の死後は風呂屋を継いで、
事業を成功させたため、「風呂政」と呼ばれるまでに。
色黒だったことから、「黒政」とも呼ばれていたそうです。

 

 

岡田政太郎さんは、風呂屋に芸人がきていたことから興行に興味を持ち、
風呂屋の経営は家族にまかせて、明治42年(1909年)、
大阪府東区安堂寺町の寄席、「梯子亭(はしごてい)」を買い取り、
富貴亭」と改名して寄席経営をはじめます。

 

この時代の一流の芸は「落語」。
落語界では「桂派」と「三友派」が激しく競いあう黄金期で、
岡田政太郎さんが経営する「富貴亭」のような、入場料が安い
三流の寄席には、落語家さんたちはでてくれなかったそうです。

 

そこで岡田政太郎さんは
なんでも構わぬ、上手いも下手もない。銭が安おうて、無条件に楽しませる演芸
という方針を掲げ、二流、三流の芸人を集めて、浪速の落語に反対する
浪速落語反対派(岡田興行部)」を発足させます。

 

 

これまでの興行界は、芸の技術を競い合っていたが、岡田政太郎さんは
興行界にビジネスという概念を取り入れたのです。
このため、興行界の浮雲児とも言われています。

 

 

岡田政太郎さんはとても面倒見がよく、芸人にお金を貸したりも。
それが評判で徐々に「桂派」や「三友派」の落語家さんも、
岡田さんの寄席に出てくれるようになり、「浪速落語反対派」は
勢力を拡大していきました。

 

そんな矢先、岡田政太郎さんは芸人遊びをしていた若旦那、
吉本泰三(吉本吉兵衛)さんと出会います。

 

吉本泰三さんはわろてんかの藤吉さんのことです。
吉本興業部(吉本興業)の創業者であります。

【関連記事】

吉本せいの息子穎右の生涯や死因は?やヒロイン女優は誰?

 

 

 

岡田政太郎さんは吉本泰三さんの相談に乗り、
吉本泰三さんは天満宮(天満天神)の裏門にある三流の寄席
「第二文芸館」の経営権を買い取り、寄席経営に乗り出し、
明治45年(1912年)4月1日に「文芸館」を開業されました。

 

吉本泰三さんは岡田政太郎さんと同じように、入場料5銭という
低価格を打ち出し、「反対派」の芸人を寄席にだして、
吉本興業部(吉本興業」を設立しました。

 

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岡田政太郎さんが「岡田興行部」、
吉本泰三さんが「吉本興行部」を運営しながら、
お二人は共同で「芦辺商会(芦辺合名社)」を設立。
関係を強化させ、反対派として勢力を拡大させていったのです。

 

二人の関係は良好に見えていましたが、実は水面下で吉本泰三さんは
反対派を飲み込むために準備をし、岡田政太郎さんの懐刀と呼ばれた
青山督さんなどを吉本興行部に取り込んでいました。

 

やがて吉本興行部は岡田興行部の寄席の数を上回ったため、
岡田さんと吉本さんの力関係が逆転することに。

 

そんな矢先、大正9年(1920年)12月。
岡田政太郎さんは53歳で急死されました。死因は不明です。

 

 

岡田政太郎さんの死後は、次男の岡田政雄さんが一部の芸人を率いて独立。
岡田反対派」を立ち上げたので、吉本興業部は1万円の手形を不渡りにし、
タダで反対派、岡田興行部の権利を手に入れ、「吉本花月連」を発足しました。

 

反対派は「岡田反対派」と「吉本花月連」に分裂し対立したが、
岡田反対派はわずか3カ月で空中分解してしまい、
「吉本花月連」に吸収され消滅してしまいます。

 

 

こうして吉本興行部は反対派の岡田興行部を飲み込み、大阪の覇者となり、
そして落語の「三友派」を傘下に収め、大阪の演芸界を統一!!
吉本王国を築いたのでした。

 

 

 

寺ギン役の兵動大樹について

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名前:兵動大樹(ひょうどう・だいき)
生年月日:1970年7月24日
出身地:大阪府大阪市西淀川区
学歴:大阪府散る北淀高等学校
血液型:O型
身長:172cm
体重:84kg
コンビ名:矢野・兵動
担当:ボケ
所属:よしもとクリエイティブ・エージェンシー

 

幼少期は大変だったようです。

1歳の時にお父様が他界。
その後、お母様が家を出ていったため、
父方の祖父母に引き取られたそうです。

この話は最近になって、ご自身のラジオ番組で語られました。

 

現在は、2005年10月に結婚した奥様との間に誕生した
2女の父親でいらっしゃいます。

 

愛称は「兵ちゃん」。

大阪で活躍するベテラン芸人さんです。

全国区では「人志松本のすべらない話」での活躍がすごく、
ファンも多いのではないでしょうか。

 

 

まとめ

わろてんかの寺ギンの実在モデルは、岡田政太郎さんでした。
岡田政太郎さんはその役を演じる兵動大樹さんと同じように、
幼少期にお父様を亡くされてました。悲しい共通点ですね。

わろてんかでは、実在モデルに加えて、オチャラケ派という設定が寺ギン。
どんな展開になるのか、毎日見逃せません!!
ではではこのへんで!しーゆー

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